大高城は、現在の名古屋市緑区に残る城跡です。築城年代は不詳ですが、戦国期には水野氏などが関わり、1560年の桶狭間の戦い直前には今川方の重要拠点となっていました。
大高城の基本情報
おおだかじょう
城跡・遺構中心
尾張国大高にあった城。1560年の桶狭間の戦いでは今川方の支配下にあり、松平元康による兵糧入れで知られる。
桶狭間の戦いの前段階で今川方の重要拠点となり、周辺の丸根砦・鷲津砦とともに織田方との攻防の焦点となった。
国指定史跡(1938年指定)
標高約20メートルの丘に位置し、江戸時代前期の絵図から城の構造をうかがうことができる。
現在の公園内では堀や土橋などの痕跡を確認できる。
所在地・比定地の補足
現在は大高城跡公園として整備されている。
築城・廃城に関する異説
築城年代は不詳。永正年間には花井備中守、天文・弘治期には水野忠氏父子の居城とされる。
情報確認日:
2026-09-18
大高城の歴代城主・支配勢力
城主や支配勢力の移り変わりを、登録されている期間に沿って時系列でたどります。
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01 天文・弘治期水野忠氏城主史料上確認名古屋市の史跡案内で居城とされる。
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02 桶狭間の戦い直前史料上確認桶狭間の戦い直前には今川方の支配下にあった。
大高城の築城から現在までの変遷
築城・改修・攻城・城主交代・落城・廃城など、城そのものの歴史を時系列でたどります。
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01 1560年
桶狭間の戦い
今川方の支配下にあり、松平元康による兵糧入れで知られる。 -
02 1938年
国史跡に指定
丸根砦跡・鷲津砦跡とともに国の史跡に指定された。 -
03 永正年間(1504〜1521年頃)
花井備中守の時期
名古屋市の案内では、この頃に花井備中守が関わったとされる。 -
04 天文・弘治期
水野氏の居城
水野忠氏父子の居城とされる。
大高城に関係する合戦・事件
攻城・籠城・政変・本拠移転など、この城との関係が登録されている合戦・事件を年代順にたどれます。
桶狭間の戦い
※ 関連する出来事には、城内で直接戦闘が行われたものだけでなく、籠城・進軍・政変・本拠移転など、この城との関係が登録されている出来事を含みます。
合戦・事件一覧を見る →大高城と関係する城・拠点
本城・支城・前身城・後継城・周辺防衛拠点など、登録されている城同士の関係を横断してたどれます。
清須城
※ 関係種別は登録済みデータに基づきます。詳細種別が未登録の城は「関連城・拠点」として表示します。
城・拠点一覧を見る →大高城は、後の徳川家康である松平元康が兵糧を運び入れた城として有名です。桶狭間の戦いを「信長と義元がぶつかった一点の戦場」ではなく、城・砦・補給路をめぐる軍事作戦として理解するための重要拠点です。
大高城とは?まず押さえたいポイント
- 尾張国大高にあった城
- 築城年代は不詳
- 戦国期には水野氏などが居城とした
- 桶狭間直前には今川方の支配下にあった
- 松平元康による兵糧入れで知られる
- 周辺の丸根砦・鷲津砦とともに攻防の焦点となった
- 1938年に国史跡へ指定された
- 現在は大高城跡公園として保存されている
大高城の築城年は分かっている?
大高城の築城年代は明確ではありません。
名古屋市の案内では、永正年間には花井備中守、天文・弘治期には水野忠氏父子が関わったことが紹介されています。
大高城は尾張と三河の境目で重要だった
大高は、尾張東南部に位置し、三河方面との交通・軍事上の関係が深い地域です。
そのため、大高城を誰が押さえるかは、織田氏・今川氏をめぐる地域支配に大きな意味を持ちました。
桶狭間直前、大高城は今川方の拠点
1560年の桶狭間の戦い前、大高城は今川方の支配下にありました。
今川軍にとって、大高城を維持するには兵や食料の補給が欠かせません。一方、織田方にとっては、この城の機能を制限する必要がありました。
丸根砦・鷲津砦との関係
大高城周辺には、織田方の丸根砦・鷲津砦が置かれていました。
大高城だけを見るのではなく、周辺の砦とセットで見ると、織田方が今川方の城を監視・圧迫する構造が分かります。
松平元康の兵糧入れ
今川方に属していた松平元康は、大高城への兵糧入れを成功させました。
元康は後の徳川家康です。つまり大高城は、家康がまだ織田信長の同盟者になる前、今川氏の勢力下で武将として活動していた時期を示す重要な城です。
兵糧入れはなぜ重要だった?
城は兵がいるだけでは守れません。食料や武器、情報などを継続して補給する必要があります。
敵方の砦に監視される大高城へ兵糧を入れることは、今川方が前線拠点を維持するための重要な軍事行動でした。
桶狭間の戦いを大高城から見る
桶狭間の戦いは、今川義元が討死した戦場だけを見ても全体像は分かりません。
大高城、丸根砦、鷲津砦、清須城など複数拠点の動きを合わせて見ることで、尾張東南部で広い軍事作戦が展開していたことが理解できます。
桶狭間後、大高城はどうなった?
桶狭間の戦いで今川義元が討死すると、周辺の勢力関係は大きく変わりました。
名古屋市緑区の案内では、大高城もその後廃城へ向かったと説明されています。
大高城はどんな地形にある?
大高城は標高約20メートルの丘に位置します。
巨大な山城ではありませんが、周辺を見渡し、街道や地域を押さえるための拠点として機能しました。
現在残る遺構
現在は大高城跡公園として整備されています。
公園内では堀や土橋などの痕跡を確認でき、戦国期の城の地形を考える手がかりになります。
1938年に国史跡へ
大高城跡は1938年、丸根砦跡・鷲津砦跡とともに国の史跡へ指定されました。
単独の城跡だけではなく、桶狭間前後の攻防を示す一連の史跡として保存されている点が重要です。
大高城が重要な理由
大高城は、豪華な天守を持つ城として有名なのではありません。
今川氏・織田氏の境界地域、松平元康の兵糧入れ、周辺砦との攻防を通じて、戦国時代の戦争が「城を落とす」だけでなく補給と交通路をめぐる戦いだったことを理解できる城です。
大高城についてよくある質問
大高城と徳川家康は関係ありますか?
はい。松平元康時代に、今川方として大高城へ兵糧を運び入れました。
大高城は桶狭間の戦いと関係ありますか?
はい。桶狭間前の今川方の重要拠点で、周辺の丸根砦・鷲津砦とともに攻防の焦点でした。
大高城は現在も残っていますか?
建物は残っていませんが、城跡が国史跡として保存され、大高城跡公園になっています。
大高城の主要出典・参考資料
城・拠点情報の確認に使用した主要な史料・公的資料・研究資料などを掲載します。
大高城跡
緑区史跡散策路・大高城下コースの紹介
研究・出典確認用データ
表示値は戦国人に登録されたデータです。研究利用では、各出典の原資料・刊本・論文等をあわせて確認してください。
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