小牧山城は、永禄6年(1563年)、織田信長が尾張国小牧山に築き、清須城から本拠を移した城です。信長はこの城を約4年間使用し、美濃攻略を進めました。
小牧山城の基本情報
こまきやまじょう
城跡・遺構中心
1563年に織田信長が築城し、清須城から本拠を移した城。美濃攻略の拠点となり、1567年に岐阜へ移るまで使用した。
桶狭間後の織田信長が美濃攻略を進めるための本拠・前線拠点。
国指定史跡 小牧山
清須から美濃へ進出する過程で築かれた信長の本拠。山頂部を中心に城郭遺構が残る。
築城・廃城に関する異説
小牧市公式では、同時代文書の分析から1563年築城が通説とされるとしている。
情報確認日:
2026-09-18
小牧山城の歴代城主・支配勢力
城主や支配勢力の移り変わりを、登録されている期間に沿って時系列でたどります。
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01 1563年〜1567年
小牧山城の築城から現在までの変遷
築城・改修・攻城・城主交代・落城・廃城など、城そのものの歴史を時系列でたどります。
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01 1563年
築城・本拠移転
織田信長が小牧山に築城し、清須城から居城を移す。 -
02 1563年
美濃攻略の拠点となる
信長は小牧山城を本拠として美濃への攻勢を進める。 -
03 1567年
岐阜へ移転
稲葉山城を攻略し、信長は本拠を岐阜へ移す。
小牧山城に関係する武将・人物
築城者・城主・攻城側・滞在者など、この城との関係が登録されている人物を横断してたどれます。
主な城主
この城の代表的な城主・領主として登録されている人物。
織田信長
※ 同一人物が複数の関係を持つ場合は1枚のカードに統合します。「関係武将・人物」には攻城側・滞在者などを含みますが、具体的な関係は登録済みデータの範囲に基づきます。
戦国人物一覧を見る →小牧山城と関係する城・拠点
本城・支城・前身城・後継城・周辺防衛拠点など、登録されている城同士の関係を横断してたどれます。
清須城
岐阜城
※ 関係種別は登録済みデータに基づきます。詳細種別が未登録の城は「関連城・拠点」として表示します。
城・拠点一覧を見る →小牧山城は「岐阜へ移るまでの仮の城」ではありません。清須から美濃へ勢力を広げるために、信長が政治・軍事の中心そのものを北へ動かした本拠として見ることが重要です。
小牧山城とは?まず押さえたいポイント
- 1563年、織田信長が築城した
- 清須城から本拠を移した
- 美濃攻略の前進拠点となった
- 信長は1567年まで約4年間使用した
- 美濃攻略後、信長は岐阜城へ本拠を移した
- 現在の小牧山は国指定史跡
なぜ清須城から小牧山城へ移ったのか
1560年の桶狭間の戦い後、信長は尾張国内での立場を強め、美濃攻略を本格化させていきました。
清須城より北に位置する小牧山へ本拠を移すことは、美濃方面への軍事行動を進めるうえで大きな意味を持ちました。城替えそのものが、信長の戦略の変化を表しています。
1563年築城は小牧市公式でも通説
小牧市は、同時代文書の分析などから永禄6年(1563年)の築城が通説と説明しています。
戦国時代の城は築城年がはっきりしない例も多い中、小牧山城は信長の本拠移転と結びつけて年代を追いやすい城です。
小牧山城は「陣城」ではなく信長の本拠
小牧山城は、一時的な戦場の陣地ではありません。
信長が清須から居城を移し、ここを拠点に美濃攻略を進めました。城主本人が生活・政治・軍事の中心を置いた本拠だった点が大きな特徴です。
美濃攻略との関係
小牧山城が使われた1563〜1567年は、信長が美濃へ勢力を広げた時期と重なります。
美濃を支配していた斎藤氏との抗争を進める中で、小牧山城は尾張から美濃へ進出するための重要拠点となりました。
清須→小牧山→岐阜で見る信長の勢力拡大
信長の本拠は清須城から小牧山城、さらに岐阜城へ移りました。
この順番は単なる引っ越しではありません。尾張を固め、美濃へ進み、さらに畿内へ向かうという勢力拡大とほぼ一致しています。
1567年、美濃攻略後に岐阜へ
1567年、信長は稲葉山城を攻略し、美濃を掌握しました。
その後、本拠を岐阜へ移します。小牧山城は役割を終えますが、信長の「尾張大名」から「畿内政治へ進む大名」への転換期を支えた城でした。
わずか約4年間でも重要な理由
小牧山城を信長が使った期間は約4年間です。
しかし城の重要性は使用期間の長さだけでは決まりません。この4年間に信長は美濃攻略を進め、本拠を岐阜へ移せるまで勢力を拡大しました。
現在の小牧山城跡
現在の小牧山には、山頂部を中心に城郭遺構が残り、国指定史跡として保存されています。
現地では山全体の地形を見ることで、信長がなぜこの場所を本拠に選んだのかを考えることができます。
小牧山城を見るなら清須城・岐阜城とセット
小牧山城だけを見るより、前本拠の清須城と後継本拠の岐阜城を合わせて見ると価値が分かりやすくなります。
3つの城を時系列で追うことで、信長の勢力圏が北へ広がり、その後京都方面へ向かっていく流れを地図のように理解できます。
小牧山城についてよくある質問
小牧山城を築いたのは誰ですか?
織田信長です。
小牧山城はいつ築かれましたか?
永禄6年(1563年)です。
信長は何年間使いましたか?
1567年に岐阜へ移るまで、約4年間本拠としました。
小牧山城は何のための城ですか?
信長が清須から本拠を移し、美濃攻略を進めるための政治・軍事拠点でした。
小牧山城の主要出典・参考資料
城・拠点情報の確認に使用した主要な史料・公的資料・研究資料などを掲載します。
史跡小牧山の沿革 織田信長の小牧山城
研究・出典確認用データ
表示値は戦国人に登録されたデータです。研究利用では、各出典の原資料・刊本・論文等をあわせて確認してください。
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織田信長
1534年生まれ。尾張を基盤に勢力を拡大し、桶狭間の戦い、美濃攻略、上洛、安土城築城などを経て天下統一を進めた。1582年、本能寺の変で没した。
詳しく見る →清須城
尾張の中心地・清須に置かれた城。1555年に織田信長が入城し、1560年の桶狭間の戦いではここから出陣した。
詳しく見る →岐阜城
旧称・稲葉山城。1567年に織田信長が攻略し、「岐阜城」と改めて天下統一の拠点とした。
詳しく見る →桶狭間の戦い
永禄3年(1560年)、尾張へ進軍した今川義元軍と織田信長軍が衝突し、義元が討死した合戦。
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1582年、本能寺の変後に清須城で開かれた会議。織田信長の後継と領地配分をめぐり、柴田勝家・羽柴秀吉ら重臣が協議した。
詳しく見る →横山城
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