織田信長の家紋は織田木瓜!7種類の意味と永楽通宝の旗印を解説

織田信長の代表的な家紋は「織田木瓜(おだもっこう)」です。五つの瓜のような輪郭が中央の唐花を囲む図柄で、「織田瓜(おだか)」とも呼ばれます。1583年に制作された信長の肖像画や木像にも木瓜紋が表現されており、織田家を示す紋としての根拠があります。

一方、織田信長を調べると「永楽通宝」「揚羽蝶」「五三桐」など、ほかの図柄も登場します。これらをすべて同じ意味の家紋として数えると分かりにくくなるため、この記事では主な家紋・替紋として伝わる図柄・戦場で使う旗印を分け、絵や史料のどこまで確認できるかを整理します。

織田信長の家紋は「織田木瓜」|まず図柄と読み方を確認

織田木瓜は「おだもっこう」と読みます。「織田」は家の名前、「木瓜」は家紋の一種を指す言葉です。「木瓜」と書いても、植物のボケの花そのものを描いたものと単純に決めつける必要はありません。中心にある花のような形と、その外側の五つの輪郭を見分けるのがポイントです。

織田木瓜(おだもっこう)。5つの瓜形で中央の唐花を囲んだ、織田信長の代表的な家紋の図案
織田木瓜(織田瓜)の図柄図案:Hakko-daiodo / Wikimedia Commons、CC BY-SA 4.0(改変なし)。歴史資料を撮影した画像ではなく、現代の再描画です。

この図柄は、家紋の分類では「五瓜に唐花(ごかにからはな)」系統の一つです。外側に五つの瓜形、中央に唐花が配されています。デザインの線の太さや細部には図版ごとの違いがあるため、ここでは形の特徴を理解するための図として紹介しています。

信長の肖像画・木像で、実際に木瓜紋が確認できる

1583年の織田信長像|衣装の木瓜紋が修理で明瞭に

神戸市立博物館が所蔵する重要文化財「織田信長像」は、信長が亡くなった翌年の1583年、一周忌に合わせて制作された肖像画です。博物館の説明によれば、2014~2015年度の修理により、信長の束帯に描かれた木瓜紋(織田家の家紋)が明瞭に見えるようになりました。

つまり、木瓜紋を織田家の代表紋として紹介する根拠は、単なる現代の家紋一覧ではありません。没後まもない時期の信長像に家の紋として描かれています。文化遺産オンラインでも、同じ信長像について確認できます。

1583年の木造織田信長坐像|表袴に五葉の木瓜文

大徳寺総見院の重要文化財「木造織田信長坐像」は1583年に制作された像です。文化財データベースは、袴に「五葉の木瓜文」を描くと説明しています。木瓜紋が信長の追悼・顕彰の場でも用いられたことが分かる資料です。

この二つの文化財は、信長本人が家紋の細部をどう指示したかを示すものではありません。それでも、信長の肖像と木瓜紋が早い時期から結び付いていたことを示す重要な手がかりになります。後世の伝承だけに頼らずに説明できる点が特徴です。

家紋7種類とされる理由|主紋・替紋・旗印を一覧で比較

織田信長の家紋を紹介するサイトでは、「7種類」という数え方がよく使われます。ただし、そこで挙げられるのは、家を示す紋だけではなく、将軍家や朝廷との関係を示すと伝わる紋、旗や指物の図柄などです。七つすべてが同じ程度の史料で裏付けられた、信長個人の「正式な家紋7つ」ではありません。

図柄・呼び名よく紹介される用途・由来確認するときの注意
織田木瓜(五瓜に唐花)織田家の代表的な家紋1583年制作の肖像画・木像に木瓜紋が確認できる
揚羽蝶(あげはちょう)平氏の系統と結び付けて説明される紋織田家の平氏出自の話と、信長本人の使用時期は分けて考える
桐紋(五三桐など)将軍家から賜ったとする記録が紹介される「五三桐」と「五七桐」の図柄は異なり、資料ごとに確認が必要
丸に二引両足利将軍家にゆかりの紋足利義昭との関係で語られるが、織田木瓜と同じ種類の世襲紋ではない
菊紋(十六葉菊など)朝廷からの拝領説・系譜に残る紋屏風の描写と「十六葉菊」という具体的名称の混同に注意
永楽通宝(永楽銭)軍旗などの旗印に用いたと伝わる本来は銭貨の文字で、家の主紋とは役割が異なる
無文字「無」の字を記した旗印として紹介される後世の紋章一覧・伝承で扱われる。用途と原資料を区別する

ここで「永楽通宝」や「無文字」を、主紋の木瓜と同列に数えないことが大切です。家紋・旗印・馬印は、どれも戦国武将を識別する目印になり得ますが、用途や意味は同じではありません。

織田木瓜の由来は?斯波氏・朝倉氏・劔神社の説

織田木瓜がいつ、どのような経緯で織田家に伝わったかについては、複数の説明があります。主に挙げられるのは、尾張守護の斯波氏から与えられたとする説、越前の朝倉氏との関わりを重視する説、越前の劔神社の神紋とのつながりを考える説です。

由来の説明どのような考え方?押さえたい点
斯波氏からの下賜説尾張守護・斯波氏と織田家の主従関係に着目する信秀の時代に与えられたとする紹介がある
朝倉氏との関係説織田氏が越前と関わった時代、朝倉氏との関係を重視する同じ木瓜系統の紋を使う家同士でも伝承が異なる
劔神社との関係説織田の地名・社家や神紋とのつながりを考える織田氏の祖先伝承と、その成立時期を合わせて見る

越前町織田文化歴史館は織田氏の祖先について、江戸時代に広まった『甫庵信長記』や系図の記述を慎重に検討しています。家紋の由来も、後世の系図や縁起に語られているというだけで信長の時代の事実として確定させず、伝わり方まで考える必要があります。

なお、織田木瓜の「木瓜」自体の意味にも複数の説があります。国立国会図書館レファレンス協同データベースに収められた図書館の調査事例では、植物の切り口、鳥の巣、御簾に使われた装飾文様などが紹介されています。「子孫繁栄を願って選んだ」と説明されることもありますが、信長自身がその意味を語った史料があるという意味ではありません。

永楽通宝は家紋ではなく旗印?織田木瓜との違い

永楽通宝(えいらくつうほう)は、もともと明で鋳造された銭貨の名称です。戦国期の日本でも流通した銭貨で、円い銭に「永楽通宝」の文字が書かれています。この文字や銭を表す意匠が、信長の旗印として知られています。

「長篠合戦図屏風」を紹介するnippon.comの解説では、永楽通宝の旗印が描かれていることと、江戸時代初期の『甫庵信長記』にも永楽銭を旗に用いたとの記述があることを紹介しています。

ただし、『甫庵信長記』は、奈良女子大学の古典籍解説でも述べられているように、太田牛一の『信長公記』に物語的な脚色を加えた作品です。旗印の話を読む際には、後世に書かれた文献・屏風の図像・事件当時の確実な記録を区別しておくと、歴史的な意味が分かりやすくなります。

「永楽通宝」から信長の経済政策まで説明できる?

信長は商業・交通に関わる政策でも知られるため、永楽銭の旗印は楽市楽座と結び付けて語られます。ただし、「銭の図柄を選んだから経済最優先だった」と一つの図案から信長の政策意図まで言い切るのは避けたいところです。永楽通宝は旗印としての伝承、楽市楽座は制度の歴史として、それぞれの資料で確かめるのが適切です。

揚羽蝶の家紋と、信長が平氏を名乗った話

揚羽蝶は、羽を広げた蝶を表す紋で、平氏ゆかりの紋として知られています。織田信長も、平氏の系統を名乗ったことと関連付けて揚羽蝶を使ったと説明されます。家紋一覧で「織田蝶」と書かれる場合もあります。

ただし、信長が揚羽蝶を用いたという説明と、織田氏の祖先が本当に平氏にさかのぼるかという問題は別です。越前町織田文化歴史館が注意を促すように、祖先伝承には後世の創作・脚色が入り得るため、「蝶紋がある=平氏の子孫であることが証明された」とはなりません。

桐紋・二引両・菊紋は何を表した?

桐紋|足利将軍家からの拝領説

桐紋は桐の葉と花を組み合わせた紋です。五三桐や五七桐など、花の数によって図柄が異なります。国立国会図書館のレファレンス事例「織田信長と桐紋」では、織田信長が足利義昭から桐紋・二つ引両紋を与えられたとする文献を紹介しています。

同じ調査では、肖像画に見える桐紋について「五三桐」と「五七桐」の説明の違いにも触れられています。「信長に桐紋が結び付く」という説明と、「画像の図柄が必ず五三桐である」という断定は分けるのが正確です。

丸に二引両|将軍家との結び付きを示す紋

二引両は、二本の横線を表す紋です。丸で囲まれた図柄は「丸に二引両」と呼ばれ、足利将軍家の紋として知られています。信長が足利義昭を奉じて上洛した時期との関連で、桐紋とともに紹介されます。

信長の代表的な世襲家紋である織田木瓜とは異なり、将軍家からの待遇や政治的な立場に関係して語られる紋であることがポイントです。

菊紋|「十六葉菊」とする紹介には注意

菊紋は朝廷に関係する紋章として知られ、信長が菊紋を使ったとする系図や解説もあります。ただし、どの場面にどの枚数の花びらを持つ菊紋が描かれているかには、資料ごとの差があります。

たとえば長篠合戦図屏風についての解説では「十五葉菊」が描かれていると説明される一方、家紋紹介では「十六葉菊」と書かれる例があります。呼び名を一つに決めて、同じ図柄だと扱わないことが大切です。

信長の家紋と、秀吉・家康の紋はどう違う?

人物よく知られる代表紋間違えやすい点
織田信長織田木瓜(五瓜に唐花)永楽通宝は旗印として有名。主紋と同じ扱いにしない
豊臣秀吉桐紋(太閤桐など)信長も桐紋と関わりがあるため、桐紋だけで誰のものか断定できない
徳川家康葵紋(三つ葉葵)家系や使用時期で図柄が異なり、「葵紋」の総称にも幅がある

戦国三英傑は、それぞれ有名な家紋がありますが、家紋は商標のように一人だけが使う専用ロゴとは限りません。複数の家が近い図柄を使い、権威ある家から紋を賜ることもありました。図柄・家・時代・使われた場所を合わせて判断するのがよい見分け方です。

見分け方|画像のどこを見ると織田木瓜だと分かる?

  • 外側の五つの輪郭: 花びらのように見える部分が五つあるか確認する。
  • 中央の唐花: 単なる円ではなく、装飾的な花の形が配置されているか見る。
  • 別の木瓜紋との違い: 四つの瓜形を持つ一般的な木瓜紋などと混同しない。
  • 実物か現代の再描画か: 現代の図案は形を理解するのに役立つが、1582年当時に同じ線の太さで描かれた証明ではない。
  • 資料の出所: 博物館の収蔵品・寺院の伝来品・後世の系譜のどこで確認された図柄かを確かめる。

とくに「木瓜」「五瓜に唐花」「織田木瓜」は、広い図柄の種類と織田家に結び付いた呼び方が混在しやすい言葉です。名前だけでなく、図柄と使われた家をセットで覚えておきましょう。

織田信長の家紋についてよくある質問

織田信長の家紋は何という名前ですか?

代表紋は「織田木瓜(おだもっこう)」です。「織田瓜(おだか)」や「五瓜に唐花(ごかにからはな)」という説明も見られます。

織田木瓜の家紋は何の花ですか?

中央は「唐花」という装飾文様です。木瓜紋の起源には植物の切り口や鳥の巣、御簾の装飾との関係など複数の説明があります。実際のボケの花をそのまま写したデザインではありません。

織田信長の家紋は7つあったのですか?

7種類と紹介されることはありますが、織田木瓜・桐紋のような家紋と、永楽通宝・無文字のような旗印を含む数え方です。すべてが同じ種類の正式な主紋だったわけではありません。

永楽通宝は織田信長の家紋ですか?

永楽通宝は主として旗印の図柄として知られます。信長の代表的な家紋を一つ答えるなら、織田木瓜です。

織田信長が揚羽蝶を使ったのはなぜですか?

平氏につながる家の出自を示す紋として説明されます。ただし、平氏の末裔だという伝承そのものの成立や確実性は、使用紋の話と区別して考えましょう。

織田木瓜は信長本人が考えた図柄ですか?

織田家に伝わった紋として知られ、信長が自分で一から創作したことを示す資料は確認されていません。由来には斯波氏・朝倉氏・劔神社との関係をめぐる説があります。

織田木瓜と明智光秀の桔梗紋は同じですか?

別の図柄です。織田木瓜は五つの瓜形と中央の唐花、明智氏の桔梗紋は桔梗の花を表します。本能寺の変の対立関係を象徴する図柄として並べられることがありますが、形は異なります。

家紋の画像を自由に使えますか?

古くから伝わる家紋の図柄と、現代のイラスト・写真には別の権利関係があります。この記事で掲載した図は、Wikimedia Commonsの作品を、クレジットとCC BY-SA 4.0の条件に従って表示しています。ネット上のどの家紋画像も無条件に再利用できるわけではありません。

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この記事の理解度チェック

5問のクイズで、記事で学んだことを確認しましょう。採点後に正解と解説が表示されます。

第1問 織田信長の代表的な家紋は何?
正解と解説を確認する

正解:織田木瓜(おだもっこう)

織田木瓜は織田家の代表紋です。1583年に制作された織田信長の肖像画や木像にも木瓜紋が確認できます。

第2問 織田木瓜の図柄の中心に描かれているのは何?
正解と解説を確認する

正解:唐花(からはな)

織田木瓜は、五つの瓜形の輪郭と中央の唐花を組み合わせた、五瓜に唐花の系統の図柄です。

第3問 「永楽通宝」は織田信長の何としてよく知られる?
正解と解説を確認する

正解:代表的な旗印の図柄

永楽通宝はもともと銭貨の名前で、信長の旗印として伝わります。主な家紋である織田木瓜とは区別します。

第4問 揚羽蝶の紋は、どのような伝承と結び付けられている?
正解と解説を確認する

正解:織田家の平氏出自の伝承

揚羽蝶は平氏ゆかりの紋として知られ、織田氏が平氏の系統を名乗る伝承と関連付けて紹介されます。

第5問 信長の『家紋7種類』という説明を読む際に大切なことは?
正解と解説を確認する

正解:家紋・替紋・旗印を区別して史料を見る

織田木瓜、桐紋、永楽通宝、無文字などは、用途や典拠が異なります。複数の図柄をまとめて『7種類』と呼ぶ場合は、その違いを確認することが重要です。

この記事で参照した主な資料10件

信長の代表紋については博物館・文化財情報を優先し、替紋や旗印は文献の成立時期と使われた場面を区別して確認しました。掲載画像は現代の家紋図案で、史料そのものではありません。