横山城
近江・横山丘陵に築かれた山城。1570年の姉川の戦い後、羽柴秀吉が城番として約3年間預かり、織田信長の小谷城攻略の前線基地となった。秀吉が長浜城主へ進む足掛かりとなった城。
山城に分類される城・館・砦・拠点をまとめています。城主や関係人物、合戦とのつながりも確認できます。
本拠・支城・陣城など、関係する城郭データです。
越前朝倉氏の城下町・一乗谷東方の一乗城山に築かれた詰城。千畳敷・連続曲輪群・約140条の畝状竪堀など強固な防御施設を備えた。
1563年に織田信長が築城し、清須城から本拠を移した城。美濃攻略の拠点となり、1567年に岐阜へ移るまで使用した。
北近江を支配した浅井氏三代の居城。1525年頃に浅井亮政が築城し、1573年に織田信長軍の攻撃で落城した。
天王山山頂に残る山城。現在残る城跡は1582年の山崎の戦い直後に羽柴秀吉が築いたとされる。
旧称・稲葉山城。1567年に織田信長が攻略し、「岐阜城」と改めて天下統一の拠点とした。
近江・横山丘陵上の山城。1570年の姉川の戦い後、羽柴秀吉が城番として約3年間預かり、織田信長の小谷城攻略の前線基地となった。

近江・横山丘陵に築かれた山城。1570年の姉川の戦い後、羽柴秀吉が城番として約3年間預かり、織田信長の小谷城攻略の前線基地となった。秀吉が長浜城主へ進む足掛かりとなった城。

越前朝倉氏の城下町・一乗谷東方の一乗城山に築かれた詰城。千畳敷や一ノ丸・二ノ丸・三ノ丸、約140条の畝状竪堀など強固な防御施設を備えたが、1573年の織田信長侵攻時にも実戦使用されなかったとされる。

北近江を支配した浅井氏三代の居城。大永5年(1525年)頃に浅井亮政が築城し、1573年に織田信長軍の攻撃で落城。浅井長政は自害した。

天王山山頂に残る城跡。現在残る城跡は、1582年の山崎の戦い直後に羽柴秀吉が築城したものと大山崎町が説明しており、秀吉の天下統一の出発点となった城。

永禄6年(1563年)、織田信長が小牧山に築城して清須城から本拠を移した城。美濃攻略の拠点となり、1567年に岐阜へ移るまで使用した。

旧称・稲葉山城。織田信長が永禄10年(1567年)に斎藤龍興から奪取し、「岐阜」と改称して天下統一の拠点とした城。