清須会議
天正10年(1582年)、本能寺の変後に清須城で開かれた会議。織田信長の後継と領地配分をめぐり、柴田勝家・羽柴秀吉ら重臣が協議した。
安土桃山時代に関係する人物・合戦・城・出来事をまとめています。同じ時代に活動した人物や起きた事件を横断して確認できます。
この分類に登録されている戦国人物です。
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本拠・支城・陣城など、関係する城郭データです。
明智光秀が1577年頃、丹波攻略・平定の拠点として築いた平山城。本能寺の変では光秀がこの城から出陣したとされる。
京都防衛の要衝に位置する城。1571年に細川藤孝が信長の命で改修し、1582年の山崎の戦いでは明智光秀が拠点として使用した。
1575年、織田信長が越前支配の拠点を北庄に定め、柴田勝家が築いた城。1583年、賤ヶ岳の戦い後に落城した。
織田信長が天正4年(1576年)に築城を開始し、天正7年(1579年)に天主が完成して移り住んだ城。天下統一の拠点として築かれた。
天王山山頂に残る山城。現在残る城跡は1582年の山崎の戦い直後に羽柴秀吉が築いたとされる。
旧称・稲葉山城。1567年に織田信長が攻略し、「岐阜城」と改めて天下統一の拠点とした。
尾張の中心地・清須に置かれた城。1555年に織田信長が入城し、1560年の桶狭間の戦いではここから出陣した。
琵琶湖岸にあった城。羽柴秀吉が入城して今浜を長浜と改め、城下町を整備して数年間居城した。

天正10年(1582年)、本能寺の変後に清須城で開かれた会議。織田信長の後継と領地配分をめぐり、柴田勝家・羽柴秀吉ら重臣が協議した。

天正3年(1575年)、織田信長が越前支配の拠点を北庄に定め、柴田勝家が築城した城。1583年、賤ヶ岳の戦いに敗れた勝家が退却し、秀吉軍の攻撃で落城した。

天正11年(1583年)、本能寺の変後の織田家中の主導権をめぐり、羽柴秀吉と柴田勝家が近江・賤ヶ岳周辺で戦った合戦。柴田方が敗れ、勝家は北庄城へ退却した。

天王山山頂に残る城跡。現在残る城跡は、1582年の山崎の戦い直後に羽柴秀吉が築城したものと大山崎町が説明しており、秀吉の天下統一の出発点となった城。

琵琶湖岸に築かれた城。羽柴秀吉が入城して今浜を「長浜」と改め、城下町を整備して数年間居城した。現在の豊公園は旧城本丸付近に広がる。

京都防衛の要衝に置かれた城。1571年に細川藤孝が織田信長の命を受けて改修し、1582年の山崎の戦いでは明智光秀が拠点として秀吉軍を迎え撃ち、敗走後に退却した。

天正10年(1582年)6月13日、本能寺の変で織田信長を討った明智光秀と、中国地方から急ぎ戻った羽柴秀吉が山崎周辺で戦った合戦。光秀は敗れ、勝龍寺城へ退却した。

明智光秀が天正5年(1577年)頃、丹波攻略の拠点として築いた平山城。本能寺の変では光秀がこの城から出陣したとされる。

旧称・稲葉山城。織田信長が永禄10年(1567年)に斎藤龍興から奪取し、「岐阜」と改称して天下統一の拠点とした城。

織田信長が天正4年(1576年)に築城を始め、天正7年(1579年)に天主が完成して移り住んだ城。天下統一の拠点として築かれ、本能寺の変後に天主・本丸が焼失した。