清須会議
天正10年(1582年)、本能寺の変後に清須城で開かれた会議。織田信長の後継と領地配分をめぐり、柴田勝家・羽柴秀吉ら重臣が協議した。
豊臣家に属する人物・関係する合戦・城・拠点を横断して調べられます。人物同士の関係や勢力の広がりもあわせて確認できます。
人物や勢力と関係する合戦・事件を横断できます。
本拠・支城・陣城など、関係する城郭データです。
関係する合戦・事件と、登録済みの城主・支配勢力データを年代順に統合しています。

天正10年(1582年)、本能寺の変後に清須城で開かれた会議。織田信長の後継と領地配分をめぐり、柴田勝家・羽柴秀吉ら重臣が協議した。

天正11年(1583年)、本能寺の変後の織田家中の主導権をめぐり、羽柴秀吉と柴田勝家が近江・賤ヶ岳周辺で戦った合戦。柴田方が敗れ、勝家は北庄城へ退却した。

天王山山頂に残る城跡。現在残る城跡は、1582年の山崎の戦い直後に羽柴秀吉が築城したものと大山崎町が説明しており、秀吉の天下統一の出発点となった城。

琵琶湖岸に築かれた城。羽柴秀吉が入城して今浜を「長浜」と改め、城下町を整備して数年間居城した。現在の豊公園は旧城本丸付近に広がる。

天正10年(1582年)6月13日、本能寺の変で織田信長を討った明智光秀と、中国地方から急ぎ戻った羽柴秀吉が山崎周辺で戦った合戦。光秀は敗れ、勝龍寺城へ退却した。