一乗谷城
越前朝倉氏の城下町・一乗谷東方の一乗城山に築かれた詰城。千畳敷や一ノ丸・二ノ丸・三ノ丸、約140条の畝状竪堀など強固な防御施設を備えたが、1573年の織田信長侵攻時にも実戦使用されなかったとされる。
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越前朝倉氏の城下町・一乗谷東方の一乗城山に築かれた詰城。千畳敷や一ノ丸・二ノ丸・三ノ丸、約140条の畝状竪堀など強固な防御施設を備えたが、1573年の織田信長侵攻時にも実戦使用されなかったとされる。

天正元年(1573年)8月、浅井氏救援から撤退する朝倉義景軍を織田信長軍が近江から敦賀へ至る刀根坂で追撃し、朝倉軍が大敗した戦い。朝倉氏滅亡へ直結する決定的な敗戦となった。

元亀元年(1570年)、近江国姉川を挟んで浅井・朝倉連合軍と織田・徳川連合軍が戦った合戦。浅井長政・朝倉義景と織田信長・徳川家康の対立を象徴する戦いとなった。

天正元年(1573年)、織田信長が北近江の浅井氏本拠・小谷城を攻め、浅井長政が自害して浅井氏が滅亡した戦い。落城後、羽柴秀吉が北近江支配を任された。