横山城
近江・横山丘陵に築かれた山城。1570年の姉川の戦い後、羽柴秀吉が城番として約3年間預かり、織田信長の小谷城攻略の前線基地となった。秀吉が長浜城主へ進む足掛かりとなった城。
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越前朝倉氏の城下町・一乗谷東方の一乗城山に築かれた詰城。千畳敷・連続曲輪群・約140条の畝状竪堀など強固な防御施設を備えた。
明智光秀が1577年頃、丹波攻略・平定の拠点として築いた平山城。本能寺の変では光秀がこの城から出陣したとされる。
京都防衛の要衝に位置する城。1571年に細川藤孝が信長の命で改修し、1582年の山崎の戦いでは明智光秀が拠点として使用した。
1575年、織田信長が越前支配の拠点を北庄に定め、柴田勝家が築いた城。1583年、賤ヶ岳の戦い後に落城した。
1563年に織田信長が築城し、清須城から本拠を移した城。美濃攻略の拠点となり、1567年に岐阜へ移るまで使用した。
北近江を支配した浅井氏三代の居城。1525年頃に浅井亮政が築城し、1573年に織田信長軍の攻撃で落城した。
旧称・稲葉山城。1567年に織田信長が攻略し、「岐阜城」と改めて天下統一の拠点とした。
近江・横山丘陵上の山城。1570年の姉川の戦い後、羽柴秀吉が城番として約3年間預かり、織田信長の小谷城攻略の前線基地となった。
尾張の中心地・清須に置かれた城。1555年に織田信長が入城し、1560年の桶狭間の戦いではここから出陣した。

近江・横山丘陵に築かれた山城。1570年の姉川の戦い後、羽柴秀吉が城番として約3年間預かり、織田信長の小谷城攻略の前線基地となった。秀吉が長浜城主へ進む足掛かりとなった城。

越前朝倉氏の城下町・一乗谷東方の一乗城山に築かれた詰城。千畳敷や一ノ丸・二ノ丸・三ノ丸、約140条の畝状竪堀など強固な防御施設を備えたが、1573年の織田信長侵攻時にも実戦使用されなかったとされる。

天正元年(1573年)8月、浅井氏救援から撤退する朝倉義景軍を織田信長軍が近江から敦賀へ至る刀根坂で追撃し、朝倉軍が大敗した戦い。朝倉氏滅亡へ直結する決定的な敗戦となった。

1572年、織田信長が小谷城攻略のため虎御前山に築いた大規模な陣城。信長の本営となり、羽柴秀吉が城番を務め、1573年の浅井・朝倉氏滅亡まで前線基地として使われた。

元亀元年(1570年)、近江国姉川を挟んで浅井・朝倉連合軍と織田・徳川連合軍が戦った合戦。浅井長政・朝倉義景と織田信長・徳川家康の対立を象徴する戦いとなった。

北近江を支配した浅井氏三代の居城。大永5年(1525年)頃に浅井亮政が築城し、1573年に織田信長軍の攻撃で落城。浅井長政は自害した。

天正元年(1573年)、織田信長が北近江の浅井氏本拠・小谷城を攻め、浅井長政が自害して浅井氏が滅亡した戦い。落城後、羽柴秀吉が北近江支配を任された。

天正3年(1575年)、織田信長が越前支配の拠点を北庄に定め、柴田勝家が築城した城。1583年、賤ヶ岳の戦いに敗れた勝家が退却し、秀吉軍の攻撃で落城した。

琵琶湖岸に築かれた城。羽柴秀吉が入城して今浜を「長浜」と改め、城下町を整備して数年間居城した。現在の豊公園は旧城本丸付近に広がる。

京都防衛の要衝に置かれた城。1571年に細川藤孝が織田信長の命を受けて改修し、1582年の山崎の戦いでは明智光秀が拠点として秀吉軍を迎え撃ち、敗走後に退却した。