山崎城
天王山山頂に残る城跡。現在残る城跡は、1582年の山崎の戦い直後に羽柴秀吉が築城したものと大山崎町が説明しており、秀吉の天下統一の出発点となった城。
山城に関係する戦国人物・合戦・城・拠点をまとめています。現在の都道府県だけでは見えにくい、戦国時代の地域関係を旧国単位でたどれます。
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登録済みの人物・合戦・城を年代順にまとめています。

天王山山頂に残る城跡。現在残る城跡は、1582年の山崎の戦い直後に羽柴秀吉が築城したものと大山崎町が説明しており、秀吉の天下統一の出発点となった城。

京都防衛の要衝に置かれた城。1571年に細川藤孝が織田信長の命を受けて改修し、1582年の山崎の戦いでは明智光秀が拠点として秀吉軍を迎え撃ち、敗走後に退却した。

天正10年(1582年)6月13日、本能寺の変で織田信長を討った明智光秀と、中国地方から急ぎ戻った羽柴秀吉が山崎周辺で戦った合戦。光秀は敗れ、勝龍寺城へ退却した。

天正10年(1582年)6月2日、明智光秀が京都の本能寺に滞在していた織田信長を襲撃した事件。信長は自害し、織田政権の後継をめぐる大きな転機となった。