横山城
近江・横山丘陵に築かれた山城。1570年の姉川の戦い後、羽柴秀吉が城番として約3年間預かり、織田信長の小谷城攻略の前線基地となった。秀吉が長浜城主へ進む足掛かりとなった城。
近江に関係する戦国人物・合戦・城・拠点をまとめています。現在の都道府県だけでは見えにくい、戦国時代の地域関係を旧国単位でたどれます。
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織田信長が天正4年(1576年)に築城を開始し、天正7年(1579年)に天主が完成して移り住んだ城。天下統一の拠点として築かれた。
北近江を支配した浅井氏三代の居城。1525年頃に浅井亮政が築城し、1573年に織田信長軍の攻撃で落城した。
近江・横山丘陵上の山城。1570年の姉川の戦い後、羽柴秀吉が城番として約3年間預かり、織田信長の小谷城攻略の前線基地となった。
1572年、織田信長が小谷城攻略のため虎御前山に築いた大規模な陣城。信長の本営となり、羽柴秀吉が城番を務めた。
琵琶湖岸にあった城。羽柴秀吉が入城して今浜を長浜と改め、城下町を整備して数年間居城した。
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近江・横山丘陵に築かれた山城。1570年の姉川の戦い後、羽柴秀吉が城番として約3年間預かり、織田信長の小谷城攻略の前線基地となった。秀吉が長浜城主へ進む足掛かりとなった城。

天正元年(1573年)8月、浅井氏救援から撤退する朝倉義景軍を織田信長軍が近江から敦賀へ至る刀根坂で追撃し、朝倉軍が大敗した戦い。朝倉氏滅亡へ直結する決定的な敗戦となった。

1572年、織田信長が小谷城攻略のため虎御前山に築いた大規模な陣城。信長の本営となり、羽柴秀吉が城番を務め、1573年の浅井・朝倉氏滅亡まで前線基地として使われた。

元亀元年(1570年)、近江国姉川を挟んで浅井・朝倉連合軍と織田・徳川連合軍が戦った合戦。浅井長政・朝倉義景と織田信長・徳川家康の対立を象徴する戦いとなった。

北近江を支配した浅井氏三代の居城。大永5年(1525年)頃に浅井亮政が築城し、1573年に織田信長軍の攻撃で落城。浅井長政は自害した。

天正元年(1573年)、織田信長が北近江の浅井氏本拠・小谷城を攻め、浅井長政が自害して浅井氏が滅亡した戦い。落城後、羽柴秀吉が北近江支配を任された。

天正11年(1583年)、本能寺の変後の織田家中の主導権をめぐり、羽柴秀吉と柴田勝家が近江・賤ヶ岳周辺で戦った合戦。柴田方が敗れ、勝家は北庄城へ退却した。

琵琶湖岸に築かれた城。羽柴秀吉が入城して今浜を「長浜」と改め、城下町を整備して数年間居城した。現在の豊公園は旧城本丸付近に広がる。

織田信長が天正4年(1576年)に築城を始め、天正7年(1579年)に天主が完成して移り住んだ城。天下統一の拠点として築かれ、本能寺の変後に天主・本丸が焼失した。