岐阜城は、岐阜市の金華山山頂に位置する山城で、旧称を稲葉山城といいます。永禄10年(1567年)、織田信長が斎藤龍興を追放して美濃を掌握し、ここを新たな本拠としました。
岐阜城の基本情報
ぎふじょう
復元・再建建築あり
旧称・稲葉山城。1567年に織田信長が攻略し、「岐阜城」と改めて天下統一の拠点とした。
美濃攻略後の織田信長の本拠で、上洛・畿内進出を進める天下統一の拠点。
稲葉山城
金華山山頂の山城。信長はここを天下統一の拠点として上洛・畿内進出を進めた。
所在地・比定地の補足
金華山山頂部に位置する。現在の天守は復興建築。
築城・廃城に関する異説
岐阜城への改称時期については伝承・史料上の表現差があるが、岐阜市公式では1567年の攻略後に改称したと説明している。
情報確認日:
2026-09-18
岐阜城の歴代城主・支配勢力
城主や支配勢力の移り変わりを、登録されている期間に沿って時系列でたどります。
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01 1567年〜1576年
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02 1576年〜1582年史料上確認信長の安土移転後に城主となった。
岐阜城の築城から現在までの変遷
築城・改修・攻城・城主交代・落城・廃城など、城そのものの歴史を時系列でたどります。
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01 1567年
織田信長が稲葉山城を攻略
斎藤龍興を追放し、美濃を平定する。 -
02 1567年
岐阜城・岐阜へ改称
城を岐阜城、城下を岐阜と改め、天下統一の拠点とした。 -
03 1576年
信長が安土へ移る
信長は本拠を安土へ移し、岐阜城は織田信忠が継ぐ。
岐阜城に関係する武将・人物
築城者・城主・攻城側・滞在者など、この城との関係が登録されている人物を横断してたどれます。
主な城主
この城の代表的な城主・領主として登録されている人物。
織田信長
※ 同一人物が複数の関係を持つ場合は1枚のカードに統合します。「関係武将・人物」には攻城側・滞在者などを含みますが、具体的な関係は登録済みデータの範囲に基づきます。
戦国人物一覧を見る →岐阜城と関係する城・拠点
本城・支城・前身城・後継城・周辺防衛拠点など、登録されている城同士の関係を横断してたどれます。
小牧山城
安土城
※ 関係種別は登録済みデータに基づきます。詳細種別が未登録の城は「関連城・拠点」として表示します。
城・拠点一覧を見る →岐阜城は、信長が尾張・美濃の地域大名から、京都・畿内の政治へ進出する大名へ変化した時期の本拠です。小牧山城から岐阜城、さらに安土城へ続く本拠移動の中核として見ると重要性がよく分かります。
岐阜城とは?まず押さえたいポイント
- 旧称は稲葉山城
- 金華山山頂に位置する山城
- 1567年、織田信長が斎藤龍興から攻略した
- 信長は美濃平定後、岐阜を本拠とした
- 上洛・畿内進出を進める政治・軍事拠点となった
- 1576年、信長は安土へ本拠を移した
- その後、織田信忠が岐阜城主となった
- 現在の天守は復興建築
稲葉山城時代|斎藤氏の重要拠点
信長が攻略する以前、この城は稲葉山城と呼ばれ、美濃斎藤氏の重要拠点でした。
金華山の急峻な地形を利用した山城で、美濃支配の象徴的な場所でした。
小牧山城から美濃攻略へ
信長は1563年に清須城から小牧山城へ移り、美濃攻略を本格化させました。
小牧山城は美濃へ進むための前進本拠であり、その最終的な目標の一つが稲葉山城を中心とする美濃支配でした。
1567年、信長が稲葉山城を攻略
1567年、信長は斎藤龍興を追放し、美濃を平定しました。
この勝利によって、尾張だけでなく美濃も支配下に入り、信長の勢力圏は大きく拡大します。
「岐阜」への改称
岐阜市は、信長が攻略後に城を岐阜城、城下を岐阜と改めたと説明しています。
命名の細かな経緯には後世の伝承も含まれますが、信長が新たな支配の中心として「岐阜」を用いたこと自体が重要です。
なぜ岐阜城が天下統一拠点になった?
美濃を確保したことで、信長は京都方面へ進出しやすくなりました。
岐阜城は尾張・美濃の支配だけでなく、上洛と畿内進出を進める広域政権の本拠へ役割を変えます。
金華山の地形
岐阜城は金華山山頂部に位置します。
急峻な山上から濃尾平野を広く見渡せるため、軍事的な監視・防御に適した立地でした。
山上だけでは城は成り立たない
岐阜城は山頂の城郭だけで完結していたわけではありません。
山麓には信長の居館があり、政治・儀礼・来客対応などを担う空間が整えられていました。山上の防御拠点と山麓の政治空間をセットで見ることが重要です。
信長の上洛と岐阜城
岐阜を本拠とした信長は、その後、足利義昭を奉じて上洛し、京都・畿内の政治へ深く関わるようになります。
岐阜城時代は、信長が地域大名から全国規模の政治勢力へ変わる転換期でした。
1576年、安土城へ本拠を移す
1576年、信長は近江の安土で新たな城の築城を開始し、本拠を移していきます。
岐阜→安土への移動は、信長の政治重心がさらに京都・畿内側へ近づいたことを示します。
織田信忠が岐阜城主に
信長が安土へ移った後、岐阜城は嫡男・織田信忠が継ぎました。
信忠はすでに織田家の家督を譲られた後継者でした。岐阜城を任されたことからも、織田家の中核拠点としての重要性が分かります。
現在の岐阜城天守
現在の山頂に建つ天守は戦国期の建物そのものではなく、復興建築です。
見学時には、現代の天守施設と、信長時代の山城・山麓居館の歴史を区別して見る必要があります。
岐阜城が重要な理由
岐阜城は「信長が住んだ城」というだけではありません。
美濃攻略の完成、上洛、畿内進出、信忠への継承、安土への移転まで、信長政権が地域支配から広域支配へ変化する中心舞台でした。
岐阜城についてよくある質問
岐阜城の前の名前は?
稲葉山城です。
織田信長はいつ岐阜城へ入りましたか?
1567年です。
岐阜城の次の信長の本拠は?
安土城です。
現在の天守は当時の建物ですか?
いいえ。現在の天守は復興建築です。
岐阜城の主要出典・参考資料
城・拠点情報の確認に使用した主要な史料・公的資料・研究資料などを掲載します。
岐阜城の歴代城主
岐阜城天守閣
研究・出典確認用データ
表示値は戦国人に登録されたデータです。研究利用では、各出典の原資料・刊本・論文等をあわせて確認してください。
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織田信長
1534年生まれ。尾張を基盤に勢力を拡大し、桶狭間の戦い、美濃攻略、上洛、安土城築城などを経て天下統一を進めた。1582年、本能寺の変で没した。
詳しく見る →小牧山城
1563年に織田信長が築城し、清須城から本拠を移した城。美濃攻略の拠点となり、1567年に岐阜へ移るまで使用した。
詳しく見る →安土城
織田信長が天正4年(1576年)に築城を開始し、天正7年(1579年)に天主が完成して移り住んだ城。天下統一の拠点として築かれた。
詳しく見る →清須城
尾張の中心地・清須に置かれた城。1555年に織田信長が入城し、1560年の桶狭間の戦いではここから出陣した。
詳しく見る →清須会議
1582年、本能寺の変後に清須城で開かれた会議。織田信長の後継と領地配分をめぐり、柴田勝家・羽柴秀吉ら重臣が協議した。
詳しく見る →桶狭間の戦い
永禄3年(1560年)、尾張へ進軍した今川義元軍と織田信長軍が衝突し、義元が討死した合戦。
詳しく見る →岐阜城を起点に、もう一歩調べる
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