長浜城

長浜城は、羽柴秀吉が北近江を治める拠点として琵琶湖岸に築いた城です。浅井氏滅亡後、秀吉は一時小谷城へ入り、その後、今浜の地へ本拠を移して城下町を整備しました。

城郭データ

長浜城の基本情報

ながはまじょう

復元・再建建築あり

平城水城織田家豊臣家近江近畿安土桃山時代戦国時代後期

琵琶湖岸にあった城。羽柴秀吉が入城して今浜を長浜と改め、城下町を整備して数年間居城した。

戦国史上の役割

織田信長のもとで北近江を任された羽柴秀吉の初期の重要拠点で、城下町形成の中心となった。

歴史上の所在地
近江国坂田郡今浜・長浜
現在の所在地
滋賀県長浜市公園町(豊公園・長浜城歴史博物館周辺)
築城時期
中世以来の今浜城を前身とし、天正初めに羽柴秀吉が入城・城下町整備
廃城時期
元和元年(1615年)頃に廃城
別名・異称

今浜城

文化財・史跡等

市指定史跡 長浜城跡

城郭の特徴

琵琶湖岸の城で、秀吉による城下町経営の中心。豊公園は旧城本丸付近にあたるとされる。

現在確認できる主な遺構

旧城域には石垣材などの痕跡が伝わり、現在は城跡に豊公園と長浜城歴史博物館がある。


築城・廃城に関する異説

長浜市は中世の今浜城を前身とし、天正初めに羽柴秀吉が入城して長浜と改称したと説明している。

情報確認日:
2026-09-18

長浜城の歴代城主・支配勢力

城主や支配勢力の移り変わりを、登録されている期間に沿って時系列でたどります。

  1. 01 天正初め〜
    羽柴秀吉城主織田家
    史料上確認
    入城後、今浜を長浜と改め、城下町を経営した。
※ 城主・支配期間には諸説がある場合があります。確度や史料上の注意が登録されている場合は各項目に表示します。
城の歴史

長浜城の築城から現在までの変遷

築城・改修・攻城・城主交代・落城・廃城など、城そのものの歴史を時系列でたどります。

  1. 01 天正初め
    城の変遷 史料上確認

    羽柴秀吉が入城

    秀吉が入城し、今浜を長浜と改めて城下町を整備する。
  2. 02 1583年
    城の変遷 史料上確認

    賤ヶ岳の戦いで根拠地となる

    秀吉が長浜を根拠地として戦い、勢力を拡大する。
  3. 03 1615年
    城の変遷 史料上確認

    廃城

    内藤氏の高槻移封後に廃城となり、建造物・石垣の多くが彦根城へ移されたとされる。
  4. 04 1983年
    城の変遷 史料上確認

    長浜城歴史博物館が開館

    城跡に天守閣を模した長浜城歴史博物館が開館する。
※ 築城年・改修時期・攻城経過・廃城時期などには諸説がある場合があります。登録されている確度情報・史料上の注意を併記します。
人物と城

長浜城に関係する武将・人物

築城者・城主・攻城側・滞在者など、この城との関係が登録されている人物を横断してたどれます。

※ 同一人物が複数の関係を持つ場合は1枚のカードに統合します。「関係武将・人物」には攻城側・滞在者などを含みますが、具体的な関係は登録済みデータの範囲に基づきます。

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城のつながり

長浜城と関係する城・拠点

本城・支城・前身城・後継城・周辺防衛拠点など、登録されている城同士の関係を横断してたどれます。

現在の城 長浜城
前身城

小谷城

おだにじょう
所在地近江国浅井郡小谷
北近江を支配した浅井氏三代の居城。1525年頃に浅井亮政が築城し、1573年に織田信長軍の攻撃で落城した。
小谷城落城後に北近江を与えられた羽柴秀吉は、一時小谷城に入った後、長浜城の築城を進めた。
前身城

横山城

よこやまじょう
所在地近江国坂田郡横山
近江・横山丘陵上の山城。1570年の姉川の戦い後、羽柴秀吉が城番として約3年間預かり、織田信長の小谷城攻略の前線基地となった。
姉川の戦い後、秀吉は約3年間横山城を預かり、その後長浜城主へ進んだ。

※ 関係種別は登録済みデータに基づきます。詳細種別が未登録の城は「関連城・拠点」として表示します。

城・拠点一覧を見る →

長浜城は、秀吉が単なる織田家の武将から、一つの地域を自分で治める領主へ成長したことを象徴する城です。横山城・小谷城から長浜城へ至る流れを見ると、秀吉の出世が地理的にも分かります。

長浜城とは?まず押さえたいポイント

  • 琵琶湖岸の今浜に築かれた城
  • 浅井氏滅亡後、羽柴秀吉が北近江支配の拠点とした
  • 秀吉が今浜を「長浜」と改称したとされる
  • 城と城下町を一体で整備した
  • 1583年の賤ヶ岳の戦いでも秀吉の重要拠点となった
  • 1615年頃に廃城となった
  • 現在の天守風建物は長浜城歴史博物館

長浜城の前に秀吉はどこにいた?

秀吉は長浜城主になる前、姉川の戦い後に横山城を預かっていました。

その後、小谷城攻略に関わり、浅井氏滅亡後には旧浅井領を与えられます。

小谷城から今浜へ

浅井氏滅亡後、秀吉は一時小谷城へ入りました。

しかしその後、山上の小谷城ではなく、琵琶湖岸の今浜へ本拠を移します。これは北近江支配の方法そのものが変わる大きな転換でした。

なぜ琵琶湖岸へ移ったのか

琵琶湖岸の拠点は、物資・人の移動、周辺地域との連絡、城下町形成を考えるうえで有利な条件を持ちます。

山城中心の支配から、湖上交通と城下町を重視する支配へ移ったと見ると、長浜城の意味が分かりやすくなります。

「今浜」から「長浜」へ

長浜市の案内では、秀吉が今浜を「長浜」と改称したとされています。

現在まで続く地名が秀吉の城下町経営と結びついていることは、長浜城の大きな特徴です。

城下町経営を進める

秀吉は城だけでなく、周辺の町づくりも進めました。

戦国大名・領主にとって、城下町は商人・職人・家臣・物資を集める重要な空間です。長浜城は北近江を統治するための都市拠点でもありました。

長浜時代は秀吉の「領主経験」の出発点

長浜城の重要性は、秀吉が城を持ったという事実だけではありません。

一地域を継続的に治め、城下町を運営する経験を積んだことが、その後のより大きな支配へつながっていきます。

1582年、本能寺の変で状況が一変

本能寺の変で織田信長が亡くなると、秀吉は中国地方から畿内へ戻り、山崎の戦いで明智光秀を破りました。

長浜を基盤に成長した秀吉は、この後、旧織田家臣団の主導権争いへ進んでいきます。

1583年、賤ヶ岳の戦いと長浜

秀吉と柴田勝家の対立は賤ヶ岳の戦いへ発展しました。

長浜は秀吉側の重要な根拠地となり、北近江という地理が再び大きな意味を持ちます。

長浜城はいつまで使われた?

長浜城は秀吉だけの城ではなく、その後も城として利用されました。

最終的には元和元年(1615年)頃に廃城となり、建造物や石垣の多くが彦根城へ移されたと伝えられています。

現在の長浜城は復元天守?

現在、豊公園内に建つ天守風の建物は、戦国期の長浜城天守を忠実に復元したものではありません。

1983年に開館した長浜城歴史博物館で、城跡に歴史学習施設として建てられたものです。

豊公園は旧城本丸付近

現在の豊公園は、旧長浜城本丸付近に広がるとされています。

現地を歩くときは、現在の公園景観と戦国期の城郭をそのまま同一視せず、城跡として地形を意識して見ることが大切です。

横山城・小谷城・長浜城をセットで見る

秀吉の北近江での成長は、横山城→小谷城攻略→長浜城という流れで見ると非常に分かりやすくなります。

前線指揮官から城主、そして地域支配者へ進んだ過程が、城の変化としてそのまま残っています。

長浜城が重要な理由

長浜城は「秀吉が住んだ城」というだけではありません。

北近江支配、城下町形成、湖上交通、賤ヶ岳への政治・軍事的つながりを通じて、秀吉が天下人になる前に地域経営を学んだ場所として重要です。

長浜城についてよくある質問

長浜城を築いたのは誰ですか?

羽柴秀吉が北近江支配の拠点として整備しました。

長浜という地名は秀吉と関係ありますか?

長浜市の案内では、秀吉が今浜を長浜へ改称したとされています。

現在の長浜城は当時の天守ですか?

いいえ。現在の天守風建物は長浜城歴史博物館です。

長浜城はいつ廃城になりましたか?

元和元年(1615年)頃に廃城となりました。

主要出典・参考資料

長浜城の主要出典・参考資料

城・拠点情報の確認に使用した主要な史料・公的資料・研究資料などを掲載します。

01
公式・公的資料 確認済み

長浜城跡

長浜市
今浜城の前身、秀吉入城・長浜改称・城下町経営、廃城と遺構を確認。
確認日:2026-09-18
02
公式・公的資料 確認済み

豊公園の紹介

長浜市
豊公園が長浜城跡に広がり、天守閣を模した長浜城歴史博物館があることを確認。
確認日:2026-09-18
※ 資料ごとに記述・年代・解釈が異なる場合があります。本文では複数資料を照合し、断定できない事項はその旨を区別して扱います。
研究・出典確認用データ
登録年代 年代未登録
異名・別名 今浜城
登録出典数 2件
データ確認日 2026-09-18
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表示値は戦国人に登録されたデータです。研究利用では、各出典の原資料・刊本・論文等をあわせて確認してください。

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同じ家・勢力:織田家 同じ旧国:近江 同じ地域:近畿

天正11年(1583年)、本能寺の変後の織田家中の主導権をめぐり、羽柴秀吉と柴田勝家が近江・賤ヶ岳周辺で戦った合戦。

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刀根坂の戦い

天正元年8月13日(1573年)
同じ家・勢力:織田家 同じ旧国:近江 同じ地域:近畿

1573年8月、浅井氏救援から撤退する朝倉義景軍を織田信長軍が近江から敦賀へ至る刀根坂で追撃し、朝倉軍が大敗した戦い。

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合戦・事件

姉川の戦い

元亀元年(1570年)
同じ家・勢力:織田家 同じ旧国:近江 同じ地域:近畿

1570年、近江国姉川周辺で浅井・朝倉連合軍と織田・徳川連合軍が戦った合戦。

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