横山城は、現在の滋賀県長浜市の横山丘陵に築かれた山城です。1570年の姉川の戦い後、織田方の前線基地となり、羽柴秀吉が城番として約3年間この城を預かりました。
横山城の基本情報
よこやまじょう
城跡・遺構中心
近江・横山丘陵上の山城。1570年の姉川の戦い後、羽柴秀吉が城番として約3年間預かり、織田信長の小谷城攻略の前線基地となった。
姉川の戦い後の織田軍前線基地であり、羽柴秀吉が北近江で城主として活動する最初期の重要拠点。
交通の要所に築かれた山城で、横山丘陵のY字状に連なる尾根を中心に北城・南城などの曲輪群が展開する。
横山丘陵上に曲輪などの山城遺構が残る。
所在地・比定地の補足
横山丘陵上にあり、東に伊吹山、西に琵琶湖、北に小谷城を望み、北国脇往還・北国街道を見渡せる。
築城・廃城に関する異説
長浜市は、1570年の姉川の戦い後に羽柴秀吉が城番として3年間横山城を預かり、1573年の小谷城攻めの拠点となったと説明している。
情報確認日:
2026-09-19
横山城の歴代城主・支配勢力
城主や支配勢力の移り変わりを、登録されている期間に沿って時系列でたどります。
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01 浅井氏期史料上確認1570年の姉川の戦い時、浅井方の城守が置かれていた。
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02 1570年〜1573年史料上確認姉川の戦い後、約3年間横山城を預かり、浅井氏攻略の前線を担った。
横山城の築城から現在までの変遷
築城・改修・攻城・城主交代・落城・廃城など、城そのものの歴史を時系列でたどります。
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01 中世
京極氏・浅井氏の城として整備
交通の要所である横山丘陵に山城が整備される。 -
02 1570年
姉川の戦い
姉川の戦い後、横山城は織田方の前線基地となる。 -
03 1570年
羽柴秀吉が城番となる
羽柴秀吉が横山城を預かり、浅井氏攻略の前線を担う。 -
04 1572年
信長本営が虎御前山へ移る
小谷城包囲を縮めるため虎御前山城が築かれ、信長の本営が横山城から移る。 -
05 1573年
小谷城攻略の拠点
小谷城攻めで織田方の拠点として機能し、浅井氏滅亡後は秀吉の北近江支配へつながる。 -
06 1573年以後
長浜城へ
秀吉は旧浅井領を与えられ、長浜城の築城と城下町整備へ進む。
横山城に関係する武将・人物
築城者・城主・攻城側・滞在者など、この城との関係が登録されている人物を横断してたどれます。
※ 同一人物が複数の関係を持つ場合は1枚のカードに統合します。「関係武将・人物」には攻城側・滞在者などを含みますが、具体的な関係は登録済みデータの範囲に基づきます。
戦国人物一覧を見る →横山城に関係する合戦・事件
攻城・籠城・政変・本拠移転など、この城との関係が登録されている合戦・事件を年代順にたどれます。
姉川の戦い
小谷城の戦い
※ 関連する出来事には、城内で直接戦闘が行われたものだけでなく、籠城・進軍・政変・本拠移転など、この城との関係が登録されている出来事を含みます。
合戦・事件一覧を見る →横山城と関係する城・拠点
本城・支城・前身城・後継城・周辺防衛拠点など、登録されている城同士の関係を横断してたどれます。
虎御前山城
長浜城
※ 関係種別は登録済みデータに基づきます。詳細種別が未登録の城は「関連城・拠点」として表示します。
城・拠点一覧を見る →横山城は、秀吉の人生でも非常に重要です。長浜市はこの城を、秀吉が初めて城主となった城として紹介しています。横山城から虎御前山城、小谷城攻略、長浜城主へ進む流れは、秀吉の出世過程そのものです。
横山城とは?まず押さえたいポイント
- 近江国横山丘陵に築かれた山城
- 築城年代は不詳
- 京極氏・浅井氏の城として利用された
- 1570年の姉川の戦い後、織田方の前線基地となった
- 羽柴秀吉が約3年間城番を務めた
- 長浜市は秀吉が初めて城主となった城として紹介している
- 1573年の小谷城攻めを支えた
- その後、秀吉は長浜城主へ進んだ
横山城はどこにある?
横山城は長浜市の横山丘陵上にあります。
東に伊吹山、西に琵琶湖、北に小谷城を望む位置にあり、北国脇往還や北国街道を見渡せる交通の要所でした。
なぜこの場所が重要だった?
北近江を支配するには、城だけでなく街道や琵琶湖、周辺の移動経路を押さえることが重要です。
横山丘陵は周辺を広く見渡せるため、浅井氏と織田氏の双方にとって重要な軍事地点でした。
もともとは浅井方の城
横山城は織田氏が築いた城ではありません。
中世には京極氏・浅井氏側の城として整備され、1570年の姉川の戦い時にも浅井方の城守が置かれていました。
姉川の戦い後、織田方の前線基地へ
1570年の姉川の戦い後、横山城は織田方の支配下に入りました。
姉川で優勢になっても浅井氏は小谷城を維持していたため、織田方は北近江に継続的な前線拠点を必要としていました。
羽柴秀吉が城番に
羽柴秀吉は横山城を預かり、浅井氏攻略の前線を担当しました。
後に全国政権の中心となる秀吉にとって、横山城は軍事指揮と地域支配を経験する初期の重要拠点でした。
秀吉が初めて城主となった城
長浜市は横山城を「豊臣秀吉が初めて城主となった城」と紹介しています。
有名な長浜城以前に、秀吉が城と地域を任されていたことは、出世の流れを理解するうえで重要です。
約3年間、浅井氏攻略の最前線を担う
秀吉は1570年から1573年まで約3年間、横山城を預かりました。
その間、織田方は浅井氏を一度に倒すのではなく、周辺拠点を押さえながら小谷城への圧力を強めます。
1572年、虎御前山城へ本営が進む
1572年、信長は小谷城により近い虎御前山に大規模な陣城を築きました。
信長の本営が横山城から虎御前山へ進んだことで、前線はさらに浅井氏の本拠へ近づきます。
横山城の役割は終わったのか
虎御前山城へ本営が移っても、横山城の意味が完全になくなったわけではありません。
後方の支援拠点として、小谷城攻略を支える北近江の織田方拠点の一つであり続けました。
1573年、小谷城が落城
1573年、朝倉氏が刀根坂で大敗した後、浅井氏は孤立しました。
織田軍は小谷城を本格攻撃し、浅井長政が最期を迎えます。横山城が担ってきた前線任務も大きな区切りを迎えました。
秀吉は旧浅井領を与えられる
浅井氏滅亡後、秀吉は北近江の旧浅井領を与えられました。
横山城で前線を担った武将が、その地域を正式に治める領主へ変わったことになります。
横山城から長浜城へ
秀吉はその後、琵琶湖岸の長浜城へ本拠を移し、城下町経営を進めます。
横山城→小谷城攻略→長浜城という流れは、秀吉が一前線指揮官から地域支配者へ成長する過程そのものです。
横山城の構造
横山城は横山丘陵のY字状に連なる尾根を利用し、北城・南城など複数の曲輪群が展開します。
山の形そのものを利用して防御空間を作る、中世山城らしい構造が特徴です。
現在残る遺構
現在も横山丘陵上には曲輪などの山城遺構が残っています。
天守を見る城ではなく、尾根・曲輪・地形から戦国期の軍事拠点を読み取るタイプの城跡です。
横山城が重要な理由
横山城は有名な天守を持つ城ではありません。
しかし、姉川の戦い後の長期包囲戦と、秀吉が城主・地域支配者へ成長する過程を同時に追える城として非常に重要です。
横山城についてよくある質問
横山城と豊臣秀吉は関係ありますか?
はい。姉川の戦い後、秀吉が約3年間城番を務めました。長浜市は秀吉が初めて城主となった城として紹介しています。
横山城は何のための城ですか?
姉川の戦い後、浅井氏の小谷城を攻める織田軍の前線基地となりました。
横山城の次の前線拠点は?
1572年、小谷城により近い虎御前山城へ信長の本営が移りました。
横山城の主要出典・参考資料
城・拠点情報の確認に使用した主要な史料・公的資料・研究資料などを掲載します。
長浜市歴史的風致維持向上計画
学んで活躍応援講座2025
史跡小谷城跡保存管理計画書
研究・出典確認用データ
表示値は戦国人に登録されたデータです。研究利用では、各出典の原資料・刊本・論文等をあわせて確認してください。
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虎御前山城
1572年、織田信長が小谷城攻略のため虎御前山に築いた大規模な陣城。信長の本営となり、羽柴秀吉が城番を務めた。
詳しく見る →長浜城
琵琶湖岸にあった城。羽柴秀吉が入城して今浜を長浜と改め、城下町を整備して数年間居城した。
詳しく見る →姉川の戦い
1570年、近江国姉川周辺で浅井・朝倉連合軍と織田・徳川連合軍が戦った合戦。
詳しく見る →小谷城の戦い
天正元年(1573年)、織田信長が北近江の浅井氏本拠・小谷城を攻め、浅井長政が自害して浅井氏が滅亡した戦い。
詳しく見る →織田信長
1534年生まれ。尾張を基盤に勢力を拡大し、桶狭間の戦い、美濃攻略、上洛、安土城築城などを経て天下統一を進めた。1582年、本能寺の変で没した。
詳しく見る →小谷城
北近江を支配した浅井氏三代の居城。1525年頃に浅井亮政が築城し、1573年に織田信長軍の攻撃で落城した。
詳しく見る →横山城を起点に、もう一歩調べる
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