小牧山城
永禄6年(1563年)、織田信長が小牧山に築城して清須城から本拠を移した城。美濃攻略の拠点となり、1567年に岐阜へ移るまで使用した。
織田家に属する人物・関係する合戦・城・拠点を横断して調べられます。人物同士の関係や勢力の広がりもあわせて確認できます。
この分類に登録されている戦国人物です。
人物や勢力と関係する合戦・事件を横断できます。
1573年8月、浅井氏救援から撤退する朝倉義景軍を織田信長軍が近江から敦賀へ至る刀根坂で追撃し、朝倉軍が大敗した戦い。
1570年、近江国姉川周辺で浅井・朝倉連合軍と織田・徳川連合軍が戦った合戦。
天正元年(1573年)、織田信長が北近江の浅井氏本拠・小谷城を攻め、浅井長政が自害して浅井氏が滅亡した戦い。
天正10年(1582年)6月13日、本能寺の変後に明智光秀と羽柴秀吉が山崎周辺で戦った合戦。光秀は敗れて勝龍寺城へ退却した。
天正10年(1582年)6月2日、明智光秀が京都の本能寺に滞在していた織田信長を襲撃し、信長が自害した事件。
永禄3年(1560年)、尾張へ進軍した今川義元軍と織田信長軍が衝突し、義元が討死した合戦。
1582年、本能寺の変後に清須城で開かれた会議。織田信長の後継と領地配分をめぐり、柴田勝家・羽柴秀吉ら重臣が協議した。
天正11年(1583年)、本能寺の変後の織田家中の主導権をめぐり、羽柴秀吉と柴田勝家が近江・賤ヶ岳周辺で戦った合戦。
本拠・支城・陣城など、関係する城郭データです。
1575年、織田信長が越前支配の拠点を北庄に定め、柴田勝家が築いた城。1583年、賤ヶ岳の戦い後に落城した。
織田信長が天正4年(1576年)に築城を開始し、天正7年(1579年)に天主が完成して移り住んだ城。天下統一の拠点として築かれた。
1563年に織田信長が築城し、清須城から本拠を移した城。美濃攻略の拠点となり、1567年に岐阜へ移るまで使用した。
旧称・稲葉山城。1567年に織田信長が攻略し、「岐阜城」と改めて天下統一の拠点とした。
近江・横山丘陵上の山城。1570年の姉川の戦い後、羽柴秀吉が城番として約3年間預かり、織田信長の小谷城攻略の前線基地となった。
尾張の中心地・清須に置かれた城。1555年に織田信長が入城し、1560年の桶狭間の戦いではここから出陣した。
1572年、織田信長が小谷城攻略のため虎御前山に築いた大規模な陣城。信長の本営となり、羽柴秀吉が城番を務めた。
琵琶湖岸にあった城。羽柴秀吉が入城して今浜を長浜と改め、城下町を整備して数年間居城した。
生年が登録されている人物を基準に並べています。
1534年生まれ。尾張を基盤に勢力を拡大し、桶狭間の戦い、美濃攻略、上洛、安土城築城などを経て天下統一を進めた。1582年、本能寺の変で没した。
関係する合戦・事件と、登録済みの城主・支配勢力データを年代順に統合しています。

永禄6年(1563年)、織田信長が小牧山に築城して清須城から本拠を移した城。美濃攻略の拠点となり、1567年に岐阜へ移るまで使用した。

旧称・稲葉山城。織田信長が永禄10年(1567年)に斎藤龍興から奪取し、「岐阜」と改称して天下統一の拠点とした城。

織田信長が天正4年(1576年)に築城を始め、天正7年(1579年)に天主が完成して移り住んだ城。天下統一の拠点として築かれ、本能寺の変後に天主・本丸が焼失した。

天正10年(1582年)6月2日、明智光秀が京都の本能寺に滞在していた織田信長を襲撃した事件。信長は自害し、織田政権の後継をめぐる大きな転機となった。

尾張の政治・経済の中心となった城。1555年に織田信長が入城し、1560年の桶狭間の戦いではここから出陣した。

永禄3年(1560年)、尾張へ進軍した今川義元の軍と織田信長軍が衝突し、義元が討死した合戦。織田信長の勢力拡大を考えるうえで重要な転機となった。
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1534年に尾張で生まれ、尾張統一、桶狭間の戦い、美濃攻略、上洛、安土城築城などを経て勢力を拡大した戦国武将。1582年、本能寺の変で没した。