小谷城

小谷城は、北近江を支配した浅井氏三代の本拠です。長浜市の整備基本計画では、大永5年(1525年)頃に浅井亮政が築城したとされ、亮政・久政・長政の約50年間にわたり北近江支配の中心となりました。

城郭データ

小谷城の基本情報

おだにじょう

城跡・遺構中心

山城浅井家近江近畿戦国時代中期戦国時代後期

北近江を支配した浅井氏三代の居城。1525年頃に浅井亮政が築城し、1573年に織田信長軍の攻撃で落城した。

戦国史上の役割

浅井亮政・久政・長政の三代約50年にわたり、北近江支配の政治・軍事拠点となった浅井氏の本城。

歴史上の所在地
近江国浅井郡小谷
現在の所在地
滋賀県長浜市湖北町伊部・小谷郡上町・須賀谷町周辺
築城時期
大永5年(1525年)頃、浅井亮政が築城
廃城時期
天正元年(1573年)落城後に役割を終える
文化財・史跡等

国指定史跡(1937年指定)

城郭の特徴

小谷山の大嶽・本丸尾根・西尾根・清水谷に広がる大規模山城で、多様な曲輪群が残る。

現在確認できる主な遺構

本丸・大広間・大嶽・福寿丸・山崎丸・月所丸など、時代と規模の異なる城郭構造が良好に残る。


所在地・比定地の補足

小谷城跡は標高495mの小谷山山頂から中腹、麓の清水谷まで広範囲に及ぶ。


築城・廃城に関する異説

初期の城は大嶽に築かれ、その後本丸尾根へ城郭が展開したと考えられているが、本城移転時期は不明。

情報確認日:
2026-09-19

小谷城の歴代城主・支配勢力

城主や支配勢力の移り変わりを、登録されている期間に沿って時系列でたどります。

  1. 01 1573年〜1574年
    羽柴秀吉落城後の北近江支配拠点織田家
    史料上確認
    浅井旧領を与えられ、一時小谷城に入った後、長浜城築城へ進んだ。
  2. 02 大永5年(1525年)頃〜
    浅井亮政築城者・城主浅井家
    史料上確認
    小谷城を築城し、浅井氏の本拠とした。
  3. 03 16世紀中頃
    浅井久政城主浅井家
    史料上確認
  4. 04 〜1573年
    浅井長政城主浅井家
    史料上確認
    1573年の小谷城落城時の城主。
※ 城主・支配期間には諸説がある場合があります。確度や史料上の注意が登録されている場合は各項目に表示します。
城の歴史

小谷城の築城から現在までの変遷

築城・改修・攻城・城主交代・落城・廃城など、城そのものの歴史を時系列でたどります。

  1. 01 1525年
    城の変遷 史料上確認

    浅井亮政が築城

    大永5年頃、浅井亮政が小谷城を築いたとされる。
  2. 02 1573年
    城の変遷 史料上確認

    小谷城の戦い

    織田信長軍の攻撃で小谷城が落城し、浅井長政が自害する。
  3. 03 1573年
    城の変遷 史料上確認

    羽柴秀吉が入城

    浅井旧領を与えられた秀吉が一時小谷城に入る。
  4. 04 1937年
    城の変遷 史料上確認

    国史跡に指定

    小谷城跡が国指定史跡となる。
  5. 05 16世紀
    城の変遷 史料上確認

    浅井氏三代の本拠

    浅井亮政・久政・長政の三代にわたり北近江支配の中心となる。
  6. 06 永禄年間
    城の変遷 史料上確認

    お市の方が浅井長政へ嫁ぐ

    織田信長の妹・お市が浅井長政に嫁ぎ、小谷城はその生活の舞台となる。
※ 築城年・改修時期・攻城経過・廃城時期などには諸説がある場合があります。登録されている確度情報・史料上の注意を併記します。
人物と城

小谷城に関係する武将・人物

築城者・城主・攻城側・滞在者など、この城との関係が登録されている人物を横断してたどれます。

※ 同一人物が複数の関係を持つ場合は1枚のカードに統合します。「関係武将・人物」には攻城側・滞在者などを含みますが、具体的な関係は登録済みデータの範囲に基づきます。

戦国人物一覧を見る →
合戦・事件

小谷城に関係する合戦・事件

攻城・籠城・政変・本拠移転など、この城との関係が登録されている合戦・事件を年代順にたどれます。

01
02
03

※ 関連する出来事には、城内で直接戦闘が行われたものだけでなく、籠城・進軍・政変・本拠移転など、この城との関係が登録されている出来事を含みます。

合戦・事件一覧を見る →
城のつながり

小谷城と関係する城・拠点

本城・支城・前身城・後継城・周辺防衛拠点など、登録されている城同士の関係を横断してたどれます。

現在の城 小谷城
後継城

長浜城

ながはまじょう
所在地近江国坂田郡今浜・長浜
琵琶湖岸にあった城。羽柴秀吉が入城して今浜を長浜と改め、城下町を整備して数年間居城した。
1573年の小谷城落城後、羽柴秀吉が旧浅井領を与えられ、一時小谷城に入った後、長浜城の築城を進めた。

※ 関係種別は登録済みデータに基づきます。詳細種別が未登録の城は「関連城・拠点」として表示します。

城・拠点一覧を見る →

小谷城は標高495メートルの小谷山山頂・中腹から麓の清水谷まで広範囲に及ぶ大規模山城です。浅井氏の政治・軍事・家族生活が山全体に展開した「領国の本拠」として見ると、その規模と歴史的価値が分かります。

小谷城とは?まず押さえたいポイント

  • 1525年頃、浅井亮政が築いたとされる
  • 浅井亮政・久政・長政の三代が本拠とした
  • 標高495メートルの小谷山一帯に広がる大規模山城
  • 本丸・大広間・大嶽・福寿丸・山崎丸など多様な曲輪が残る
  • お市の方・浅井三姉妹の歴史とも深く関係する
  • 1573年、織田信長軍の攻撃で落城した
  • 落城後、羽柴秀吉が旧浅井領を与えられた
  • 1937年に国史跡へ指定された

1525年頃、浅井亮政が築城

長浜市の整備基本計画では、小谷城は大永5年(1525年)頃に浅井亮政が築いたとされています。

初期の城は大嶽を中心に築かれ、その後、本丸尾根や清水谷へ城郭が展開したと考えられています。

浅井氏三代の本拠

小谷城は亮政、久政、長政の三代にわたって浅井氏の本拠となりました。

単なる戦闘用の砦ではなく、北近江を治める政治・軍事・家臣団統制の中心でした。

なぜ小谷山に城を築いた?

小谷山は北近江の交通や周辺地域を見渡せる位置にあり、険しい地形そのものを防御に利用できます。

さらに山麓の清水谷などに生活・政治空間を持ち、山上の軍事施設と組み合わせることで大規模な本拠を形成しました。

本丸だけではない巨大な城域

小谷城は「本丸だけを見る城」ではありません。

大広間、大嶽、福寿丸、山崎丸、月所丸など、時期や役割の異なる多数の曲輪が山中に展開しています。

初期の大嶽と本丸尾根

長浜市の保存管理計画では、初期の小谷城は大嶽を中心としていたと考えられています。

その後、本丸尾根へ主要城郭が展開したとみられますが、本城移転の正確な時期は明確ではありません。城も浅井氏の成長に合わせて変化していった可能性があります。

浅井久政の時代

2代目当主・浅井久政の時代も、小谷城は浅井氏の支配拠点でした。

久政は六角氏の圧力を受けながら、地域内の争論調整や国人掌握、小谷城整備を進めました。

浅井長政とお市の方

3代目の浅井長政は織田信長の妹・お市の方と結婚しました。

婚姻によって浅井氏と織田氏は一時同盟関係となり、小谷城はその家族生活の舞台にもなりました。

浅井三姉妹と小谷城

お市の方と長政の娘である茶々・初・江は、後に豊臣・京極・徳川家と深く関わります。

小谷城は、戦国大名の本拠であると同時に、その後の天下人の家系へつながる人物たちの歴史とも結びつく城です。

1570年、姉川の戦い

浅井氏と織田氏の同盟が崩れると、北近江は戦場となりました。

1570年の姉川の戦い後も浅井氏は小谷城を維持し、織田方との戦争は続きます。

横山城・虎御前山城から包囲される

織田方は横山城を前進基地とし、さらに1572年には小谷城に近い虎御前山城を築きました。

前線拠点を徐々に近づけることで、小谷城の行動・補給を圧迫していきます。

1573年、朝倉氏が崩壊

浅井氏の同盟相手・朝倉義景軍は、1573年の刀根坂の戦いで大敗しました。

朝倉氏が短期間で崩壊したことで、小谷城は最大の援軍を失い、孤立します。

小谷城の戦いと落城

1573年、織田信長軍が小谷城への本格攻撃を進めました。

浅井久政・長政はそれぞれ最期を迎え、浅井氏は滅亡します。約50年間続いた浅井氏の本拠としての歴史も終わりました。

落城後、羽柴秀吉が入る

浅井氏旧領を与えられた羽柴秀吉は、一時小谷城へ入りました。

その後、琵琶湖岸に長浜城を築き、本拠を移します。

小谷城から長浜城へ|支配拠点の変化

山上の大規模山城だった小谷城から、琵琶湖岸の長浜城へ政治拠点が移りました。

この変化は、浅井氏から秀吉へ領主が交代しただけでなく、北近江の支配方法・都市形成が変わったことも象徴しています。

現在残る遺構

小谷城跡には本丸、大広間、大嶽、福寿丸、山崎丸、月所丸など多くの曲輪・城郭構造が残っています。

現在も山城の規模を地形から読み取れる、保存状態の良い史跡です。

1937年、国史跡へ

小谷城跡は1937年に国指定史跡となりました。

現在も保存・整備が進められ、浅井氏三代の本拠として歴史的価値が守られています。

小谷城が重要な理由

小谷城は浅井長政だけの城ではありません。

亮政・久政・長政三代の領国支配、お市・浅井三姉妹、姉川から1573年の落城、秀吉の北近江支配まで、戦国大名家の成立・発展・滅亡と次の支配者への交代を一つの城で追えることが最大の価値です。

小谷城についてよくある質問

小谷城は誰の城ですか?

北近江の戦国大名・浅井氏三代の本拠です。

小谷城はいつ築かれましたか?

長浜市の整備計画では1525年頃とされています。

小谷城はいつ落城しましたか?

1573年です。

落城後は誰が入りましたか?

羽柴秀吉が一時入城し、その後長浜城へ本拠を移しました。

主要出典・参考資料

小谷城の主要出典・参考資料

城・拠点情報の確認に使用した主要な史料・公的資料・研究資料などを掲載します。

※ 資料ごとに記述・年代・解釈が異なる場合があります。本文では複数資料を照合し、断定できない事項はその旨を区別して扱います。
研究・出典確認用データ
登録年代 1525年〜1573年
異名・別名 登録なし
登録出典数 3件
データ確認日 2026-09-19
研究ラボでこの項目を調べる →

表示値は戦国人に登録されたデータです。研究利用では、各出典の原資料・刊本・論文等をあわせて確認してください。

次に見る

このページとあわせて見る

人物・家・勢力・旧国・地域・時代・合戦・城の登録データから、つながりの深いページを自動で選んでいます。

城・拠点 直接の関係

虎御前山城

近江
関係城・拠点 織田軍の前線基地 関係する城・拠点

1572年、織田信長が小谷城攻略のため虎御前山に築いた大規模な陣城。信長の本営となり、羽柴秀吉が城番を務めた。

詳しく見る →
城・拠点 直接の関係

長浜城

近江
関係城・拠点 後継拠点 関係する城・拠点

琵琶湖岸にあった城。羽柴秀吉が入城して今浜を長浜と改め、城下町を整備して数年間居城した。

詳しく見る →
合戦・事件 直接の関係

姉川の戦い

元亀元年(1570年)
関係合戦・事件 関係する合戦・事件 同じ家・勢力:浅井家

1570年、近江国姉川周辺で浅井・朝倉連合軍と織田・徳川連合軍が戦った合戦。

詳しく見る →
合戦・事件 直接の関係

小谷城の戦い

天正元年(1573年)
関係合戦・事件 関係する合戦・事件 同じ家・勢力:浅井家

天正元年(1573年)、織田信長が北近江の浅井氏本拠・小谷城を攻め、浅井長政が自害して浅井氏が滅亡した戦い。

詳しく見る →
合戦・事件 直接の関係

刀根坂の戦い

天正元年8月13日(1573年)
関係合戦・事件 関係する合戦・事件 同じ旧国:近江

1573年8月、浅井氏救援から撤退する朝倉義景軍を織田信長軍が近江から敦賀へ至る刀根坂で追撃し、朝倉軍が大敗した戦い。

詳しく見る →
人物 直接の関係

織田信長

1534 - 1582
関係人物 同じ時代:戦国時代中期

1534年生まれ。尾張を基盤に勢力を拡大し、桶狭間の戦い、美濃攻略、上洛、安土城築城などを経て天下統一を進めた。1582年、本能寺の変で没した。

詳しく見る →
表示順はサイト内の関連データを使った回遊用の関連度であり、人物・合戦・勢力などの歴史的重要度を順位づけするものではありません。
この記事からさらに調べる

小谷城を起点に、もう一歩調べる

この記事に登録されている情報から、年代・家・地域・関係・史料へ移動できます。不明な情報は推測して補いません。

表示される年・分類は、このページに登録済みのデータをそのまま利用しています。ツールの結果だけを新しい史実や因果関係の根拠として扱わないでください。